2025.09.20-第27回ジオ塾「白浜の化石漣痕」
2025 0920 第27回ジオ塾にて「白浜の化石漣痕」のテーマで調査結果の発表がありました。
概要等を以下に添付しておきます。




漣痕とは? (ウィキペディア)
漣痕(れんこん)とは、地層の成層面に残される波状の模様であり、水の流れや波、風によって形成されます。 具体的には、堆積物の表面にできる波状の凹凸模様で、これをリップルとも呼びます。漣痕は、浅海での水の動きによって形成され、 地質学的に貴重な資料とされています。

白浜の化石漣痕(ウィキペディア)
白浜の化石漣痕は和歌山県西牟婁郡白浜町の北寄りに位置する田辺湾に面した 江津良地区の阪田鼻から田尻浜にかけた 「江津良浜」 と呼ばれる海岸線にある。 夏期には海水浴場になる江津良浜は、 汀線に沿って新生代新第三紀鮮新世の砂岩および砂質泥岩が露出しているが、 白浜の化石漣痕はこの砂質泥岩の中に含まれており、これらの化石漣痕は約1000万年前、あるいは約1500万年前に形成されたものと考えられている。 なお、化石漣痕という名称ではあるものの、波や水流によってできた痕跡を化石に例えているものであって厳密な意味での化石ではない。化石漣痕は日本国内各地に見られるが、 白浜の化石漣痕はその中でも漣痕の形状が顕著なものとして1931年(昭和6年) 2月20日に、 当地の当時の村名である瀬戸鉛山村 (せとかなやまむら)を冠した瀬戸鉛山村ノ地層面ノ漣痕の名称で国の天然記念物に指定され、 同村が1940年(昭和15年)3月に町制施行し白浜町と改称された同年8月30日に、 今日の指定名である白浜の化石漣痕へ名称変更された。

白浜の化石漣痕 (ウィキペディア)
白浜町が設置した解説版は江津良浜の西端にあるが、 天然記念物指定当時に設置された石碑および化石漣痕の露頭は江津良浜の東端にある回。 指定地域は白浜町大阪田3700番地および白浜町越口3699番地先より406の1番地先に至る浜地、 並びに朔望満潮線より100m以内の海面と決められており、 指定管理者は白浜町である。
化石漣痕のような水底にできる漣痕はその成因により3タイプあり、主に水流によって形成される 「水流漣痕」、 主に波運動など振動によって形成される 「波漣痕」、これら2つの複合型の「干渉漣痕」 がある。このうち水流漣痕は水流の速度や水底の深さによって、形成される漣痕の形状が直線状であったり曲がりのあるものなど、形状がさまざまに変化することが水路を使った実験で明らかにされており、白浜の化石漣痕は頂部と溝部の形状が直線状に見えることから、比較的流速の速い浅い海で形成されたものと考えられている。白浜の化石漣痕の波長は7-10ミリメートル、波高は1ミリメートル内外の小さいものであるが、 江津良浜東側の砂岩の中には漣痕の確認できる岩が34枚もあり、 その北東方向にある阪田鼻から小丸島付近にかけた海蝕台付近には、岩の幅が1メートルを越す化石漣痕が見られる。


全国指定天然記念物
白浜の化石漣痕 Fossil Ripple Marks
*指定地域 *
Designated National Cultural Asset
10112704-9
白浜町37003699左記地先より406の1地先に至る浜地並に朔望満潮線より100米以内の海面。
阪田崎より田尻浜の海岸には、 汀線に沿って新生代第三紀中期中新世 (約1500万年前)の砂岩と泥岩の互層が露出しています。
その中の砂岩層の上面に、この岩石の成生当時にできた痕がこのまま保存されました。 上をおおっていた泥岩層が波による侵蝕で削られたため、 漣痕を見ることができるようになりました。
Approximately fifteen million years ago during the earth's
Cenozoic era, Ripple marks were made on the surface of the
sandstone and to this day have been preserved intact.
These ripple marks an be seen because the covering layer
of rock has been erroded by the sea over time.
白浜町教育委員会
和歌山県教育委員会
指定年月 昭和6年(1931)2月

田辺市にある国指定天然記念物
神島
鳥ノ巣半島泥岩岩脈
オオウナギ生息地
亀甲石包含層
ユノミネシダ自生地
昭和10年12月24日
昭和11年9月3日
大正12年3月7日
昭和12年6月15日
平成3年1月18日
新庄町
岩礁(新庄町鳥ノ巣付近)
富田川 (鮎川付近)
中辺路町北郡
本宮町湯峯
田辺市にある県指定天然記念物
奥山甌穴
龍神宮のウバメガシ
野中一方杉
住吉神社の社叢
赤滑の漣痕
昭和33年4月1日
平成20年6月24日
昭和33年4月1日
昭和49年12月9日
昭和49年12月9日
新庄町
上秋津
中辺路町野中
鮎川 (住吉神社)
鮎川
ナンキセダカコブヤハズカミキリ生息地
平成28年5月26日
本宮町静川

和歌山県には以下の天然記念物があります
・橋杭岩 (1924年指定) 東牟婁郡串本町
-
●高池の虫喰岩 (1935年指定)-東牟婁郡古座川町
・古座川の一枚岩 (1941年指定) 東牟婁郡古座川町
・白浜の化石漣痕 (1931年指定) 西牟婁郡白浜町
・白浜の泥岩岩脈 (1931年指定) 西牟婁郡白浜町
-
・鳥巣半島の泥岩岩脈 (1936年指定) 田辺市
・神島 (1935年指定) 田辺市
・栗栖川亀甲石包含層 (1937年指定) 田辺市

2025.09.20 23:25 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2025 0706 第54回 公式巡検 龍神岳周辺
2025 0706 第54回 公式巡検の開催でした。 元々 「越戒の滝」周辺の予定でしたが、 6/22の下見にて、 林道が荒れて通行止めということが判明、 6/28 の定例会にてコースを変更し、高原散策に変更しました。天気よしと涼風が気持ち良く、ぶな等の新緑の中、13000歩の歩程でした。この尾根筋コースは東西方向のコースで気持ちの良いアップダウン(護摩壇山1372M-龍神岳1382M-耳取山1363M-千の時峰1344M)が続き、西は森林公園入り口から東は千の時峰迄足慣らしには最高のルートでしょう。お勧めのルートです。お疲れ様でした。

*地質図でまとめてみました。歩いたコースは美山付加コンプレックスの護摩壇山ユニットの
護摩壇山スラストに沿って歩いたことになります。予定していた「越戒の滝」は護摩壇山スラスト直下に存在刷る模様です。(耳元山は耳取山の間違い)











2025.07.06 00:11 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2025 0429 第53回 地質の日 記念イベント・鳥ノ巣半島一周
2025 0429 第53回 地質の日(18回)記念イベントで「鳥の巣半島一周」でした。提供パンフはA3で裏表 「田辺市新庄町 鳥の巣半島~北内之浦のみどころ」 として簡潔にまとめられている。
田辺湾の地形と地層:
湾岸域には広い波食棚、海食崖が発達する。 神島(かしま)をはじめ、 沖島、 畠島、 丸山など多くの離れ島が点在し、 内之浦には広い干潟(ひがた)もみられる。
田辺湾内には干潮と満潮の間、「潮間帯」と呼ばれる場所があります。 年間の干潮から満
潮まで高さにして2mを少し超えるぐらいの幅です。 潮間帯の下の干上がらない部分を「潮下帯」と呼び、 私たちが海の生物を手軽に観察できるのは、 潮間帯と潮下帯に棲んでいる生きものたちです。
湾岸域は下部中新統田辺層群の砂岩、礫岩で主に形成され、沿岸流で形成された千里海岸 (千里ヶ浜)、南部川河口(南部大浜) 会津川河口 (扇ヶ浜)には砂浜海岸が美しい。 縄文海進期には現在より数m高い位置に海水面があったので、田辺湾周辺には比高15~20mに低位海成段丘面が見える。
南海トラフ地震の影響で、 田辺⇔新宮のほぼ東西に延びる沈降域が形成されている。 その為、田辺湾は閉鎖性海域の地形になっている。これは多分ほとんどの人が実感できないことだと思われる。トラフ地震が起こると紀伊半島は蛇腹のように、串本付近は大幅な隆起、田辺湾付近は沈降し、これの繰り返しがあった訳ですが、実際には鳥の巣半島を見ても少し隆起してるかなという実感である。半島の産業としては、田んぼの田園地帯で用水はため池を利用、半島の尾根筋は雨保水のため広葉樹が繁茂している。元々、砂浜が無いので製塩地帯ではなかったようである。

①~⑦のみどころのキーワード
① 内之浦干潟親水公園 干潟の生き物 (田辺湾の一番奥まった沿岸流影響の無い所)
②鳥ノ巣平和公園 特攻艇 「震洋」 の洞窟跡と生痕化石 (海蝕崖の縄文海進跡・潮流ライン)
③鳥ノ巣半島泥岩岩脈 国指定天然記念物 新第三紀の液状化跡と磯と田んぼの生き物
④海岸の里山風景 田辺湾に浮かぶ島々と潮風の香る田んぼ(円礫の結晶片岩)
⑤ 丸山 生痕化石のアパート (浅海性堆積構造 田辺湾の地形)
⑥神島⇒国指定天然記念物 (上陸禁止) これは俯瞰するのみ。スランプ褶曲露頭 気候風土に応じた暖地性植生
⑦北内之浦⇒波食棚と海食崖 磯の生き物(浅海で形成された岩に、生痕化石と貝類化石)

今回、一周して訪れたところは以下の4点(④③⑤②)でした。目から鱗的な場所もあったと感じています。
④海岸の里山 田辺湾に浮かぶ島々の風景 円礫の結晶片岩・田んぼの前は海
アワビのような形の岩・トノサマガエル・クワガタ
③鳥ノ巣半島泥岩岩脈 国指定天然記念物 新第三紀の液状化跡・下に積もっていた泥が上に積もった岩の割れ目を突き抜けた!
⑤丸山 生痕化石のアパート浅性堆積構造と田辺湾の地形
生痕化石の種類(吉松由来)Ophiomorpha・Macaronichnus等
②鳥ノ巣平和公園 1945年特攻艇 「震洋」 格納庫跡 縄文海進のなごり

その他。
田辺湾の地形と地層
⑦北内之浦 磯の生き物観察 広い波食棚と海食崖
①内之浦干潟親水公園 憩いの場 干潟の生き物観察
白浜駅から徒歩約30分。 干潮時には干潟の生物観察ができる貴重な公園です。
田辺湾最大の干潟で約5.6ha, 満潮時は全体が水没し、 干潮時は露出。陸側からは3本の小河川が流入し、中央の仙波谷川にはアシ原もあります。 大きな波模様のモニュメントは、過去2回の津波の高さを表示。 アコウの木、ハマボウなどが植栽され手入れの行き届いた憩いの場所です。

好晴天の中ご参加の皆様大変お疲れ様でした。少し暑くて海風もありましたが、約11000歩 ゴミ拾いも精力的に行なっていただき少し綺麗になりましたね。
ここの生痕化石は、石ころ散歩では、プロブレマティカというテーマで紹介されています(P121)。
https://ja.m.wikipedia.org/.../%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83...
https://www.gsj.jp/geologyday/2025/index.html#item








2025.04.29 22:31 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2025 0419 10周年 記念講演会「田辺の石ころばなし」
2025 0419 田辺ジオパーク研究会・10周年記念講演会。2015年発足時よりお世話になっている中屋志津男先生にご講演をいただきました。まず、田ジ研会長より現状の解説(おもしろ田辺等成果物、年、4-5回の巡検と自主研修、不定期ジオ塾、2021年より田辺市自然専門委員会活動等)をいただきました。「石ころばなし」というお題ですが、内容は一般の人には少し難解だったかもしれませんが、ほとんどが「紀の国 石ころ散歩」新訂版よりの抜粋です。イントロ内容としては、紀伊半島の地質学研究は戦争を挟んで1930年頃から行われたこととべースは有力な鉱山(紀州鉱山、妙法鉱山、白浜鉱山等)が存在したこと、1960年より四万十帯研究グループにより2012年に地質図が完成した事、本題では地形の特徴、整合・不整合の重要性、プレート応力による南北の山脈と東西の山脈および笠塔山のような屈曲構造が形成される。尾根形成はテクトニクスによる山脈と谷が風化してできるものがある、海岸段丘を観察することにより隆起帯と沈降域、田辺湾は沈降域になる。海底での特徴は南海付加体、熊野海盆、室戸海盆ができつつあり、南海トラフ地震そのものは外縁隆起帯付近での逆断層(スラスト)部分でのズレによる地震である。沈降域では津波は沈降した上を伝播するので、災害が予想より大きくなる可能性がある。
四万十付加体の全体的な層序、特に副が構造で形成されておりスラスト褶曲構造が顕著である。以前は化石による時代判定でしたが、現在は放散虫化石による、判定が多い。美山付加コンプレックス・龍神付加コンプレックス等は存在する海洋性岩石(チャート等)により判定されることが多い(白亜紀等の時代考証)。音無川付加シークエンスには最下部に瓜谷層(うりだに)という泥岩互層があり、南高梅の栽培に適している地層が有名である。古谷(ふるだに)石も有名であり、これは石灰岩由来である。羽六層下部には等量タービダイトがあり、果無山脈で散見されるタービダイト地層です。牟婁層群(付加シークエンス)の特徴として「オーソコーツァイト」を含む礫岩層が見受けられる。
ETC 残念ながら全て網羅はできませんでした。地球は生きているという感じを改めて感じさせていただきました。
以下 参考に:
三越の観測井戸は:
https://gbank.gsj.jp/wellweb/GSJ/kiiyochi/PDF/N05.pdf
オーソコーツァイトは大陸からの手紙
https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/05_10_04.pdf


2025.04.19 00:37 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2025.0309 第12回 南紀熊野ジオパークフェスタ展示参加
2025.0309 第12回 南紀熊野ジオパークフェスタ展示参加をいたしました。
2025 0309 南紀熊野ジオパークフェスタで毎度のごとく出展いたしました。今回は第12回になります。諸々の作業大変お疲れ様でした。晴天のために人出が多かったように思いますが、ジオクイズもキッチンカーも盛況でしたね。やはり、ブースが二つ(連結)だと余裕ですね。


2025.03.09 22:49 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2025.03.01- 第52回公式巡検 熊野市赤木城近辺
2025 0301 もう3月 幸運にも晴天になり、田辺ジオパーク研究会の第52回の公式巡検でした。熊野市赤木城近辺、ということで丸山千枚田、田平子峠、赤木城、蝶の羽根岩、大丹倉(おおにくら)、丹倉(あかくら)神社を回りました。8:30滝尻集合、滝尻解散17:30。久しぶりの火成岩地帯の巡検で15人全員堪能されたようです。渡瀬さんいろいろ解説をありがとうございました。



田平子峠にある供養塔の文内容:
供養塔の建立について
自然の美しさと人の和によってかたく結ばれていた私たちの郷土も天正16年国主豊臣秀長の北山征伐、慶弔19年大阪乱の余波による北山一揆等によって大揺れに揺れました。天正の兵乱は、豊臣政権の重要施策である検地、つまり年貢取立ての基準となる田畑の測量に対して強く反抗したため、慶長のそれは豊臣方に味方した吉野熊野の修験者たちの誘われ、徳川方の新宮城を攻撃したため却ってその反撃をうけたものと伝えられていますが、ともかく打続く凶作と飢餓のため、日々食べることに精一杯だったわが郷土の人々にとっては、全くやむにやまれぬ戦いだったに違いありません。だがそれからおよそ四百年こうした戦いのためにあたら一命を捧げた私たち先祖の苦しい心境も理解されることなく、殆ど世に忘れられ見捨てられているのは、真に痛ましくまた口惜しい限りであります。私たちはいまそれを思いここに供養塔一基を立てていささか追弔の意を表するとともに、後世永くこうした史実に対する関心と認識を新たにしたいと念願する次第であります。
                   昭和43年9月
◎ 赤木城 築城の名手藤堂高虎の初期作といわれる石垣の城
天正13 (1585)年、 紀伊国を平定した羽柴秀吉は、弟の秀長に大和・和泉・紀伊の三国を支配
させた。 熊野は古来より銅などの鉱物資源や良質な木材などを産出する重要な地域だったた
め、秀長の家臣である藤堂高虎が山奉行として、 熊野・北山に派遣された。翌年、その支配や検地に反発して北山一揆が勃発した(のちの浅野時代にも再度の北山一揆があった)。
一揆の鎮圧後、天正17 (1589) 年ごろに木材の切り出し拠点として、 藤堂高虎が赤木城を築
いたといわれている。 当時、総石垣の城は珍しく、このような山奥に堅固な城を築いたのは、一揆勢へ威圧を感じさせるためだったのだろう。 田平子峠を経て入鹿・本宮へと続く十津川街道・風伝峠から熊野に通じる北山街道を押さえる、 赤木川の北岸丘陵上に位置している。
見どころとして
①枡形が連続する堅固な虎口の石垣
②横矢がかかる本丸周囲の石垣
③反りがない野面積や初期算木積の石垣
④中世の土の城を含む過渡期の姿
など




◎ 蝶の羽根岩 蝶が羽根を広げたように見える岩
このあたり周辺には流紋岩質溶岩が分布しており、溶岩が固まる時にできた「柱状節理」(別
紙参照)の風化断面が羽根を広げたように見えるので「蝶の羽根岩」と呼ばれるようになった。
一本の柱状節理が片方の羽根に相当し、二本一組で蝶の羽根となる。流紋岩 (花崗斑岩)は
もともと灰白色であるが、柱の表面から風化により鉄分が赤く変色して、このような美しい模様となっている。

◎ 大丹倉(おおにぐら) 見上げても見下ろしても絶景
「丹」は赤い色という意味であり、 「倉」は断崖絶壁の山 (岩) を示す言葉である。 山頂付近には 「高倉剣(たかくらつるぎ) 大明神」が祀られ、 「橿原神宮遥拝所」の石碑もある。 昔は修験の場であり、頂上に至る道沿いには修験者であるとともに武士であり、鍛冶を仕事としていた近藤兵衛の屋敷だったといわれる中世居館跡がある。
高さ300m、幅500mにおよぶ大絶壁であり、 県道52号沿いから見上げるとその大きさに驚かされる。また、上から見下ろす絶景にも圧倒される。
この付近は、高温の火砕流が堆積した流紋岩質火砕岩である。 そのため、 「蝶の羽根岩」とは岩相が異なり、 火砕流の堆積時にできた流理構造も見られる。 「丹」というほどに赤い色をしているわけではないが、若干の赤みは帯びている。 もしかしたら、 夕陽に照らされて赤く染まる様子から名付けられたのかもしれない。

三重県指定文化財
天然記念物及び名勝 大丹倉
紀伊半島東南部に位置する熊野市は地質学上西南日本外帯の四万十帯の中にある 熊野地方の高地は熊野酸性岩と総称される火成岩でできているが 第三紀中新世の宮井層の上に三回にわたり噴出し形成したとされる大丹倉はその第一次の活動で地中のマグマが地上へ噴出レ流動した溶岩流が長年使食を受けてできたものである。神木流紋岩と呼ばれるこの火成岩体は当地方では赤倉から風伝峠にかけて分布し露頭では噴出後に流動したことを示す流理構造が認められるほか 垂直で均一な柱状節理も所々でよく発達している崖の表面は流紋岩中に含まれる鉄分のため赤みを帯びており 全体として一種独特の景観を呈している台地上になっている崖の上からは 河川が刻み込んだ谷や周辺の山々を一望することができ 地質学上のみならず景観としても貴重なものである。         指定 平成十五年三月十七日
*丹倉(あかくら)神社は典型的な自然崇拝で、ご神体は巨岩(熊野層群の名残か?)です。





2025.03.01 16:35 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2025.02.15- 第24回ジオ塾 プレートテクトニックスの解説
2025 0215 第24回ジオ塾と第118回定例会でした。
2025.02.15 23:07 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024.12.21- 第23回 ジオ塾「中央構造線博物館を訪れて」
第23回 ジオ塾「中央構造線博物館を訪れて」
2024 1221 第23回ジオ塾
今回は渡瀬氏の「中央構造線博物館を訪ねて」のテーマで2024夏に現地を訪問して成果をまとめて発表されました。一般的に中央構造線は東西方向という感覚ですが、大鹿村では南北なんですね。構造線というと領家変成帯と三波川変成帯ですが、今回マイロナイトの説明がありました。この辺りでは馴染みのある岩石の模様ですが、興味がつきない発表会でした。有名な露頭が二つあり、領家帯と三波川帯が間近に観察可能のようです(北川露頭と安康露頭)。

鹿塩(かしお)マイロナイト
https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/harada/
大鹿村中央構造線博物館 Oshika museum of Japan Median Tectonic Line
https://mtl-muse.com/

















2024.12.22 23:23 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024.12.21- 第51回公式巡検 扇ガ浜・磯間岩陰遺跡・砥石山
第51回公式巡検 扇ガ浜・磯間岩陰遺跡・砥石山
2024.12.22 23:17 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024.11.23- 田辺市生涯学習フェスティバル展示参加
2024 1123-24 田辺市生涯学習フェスティバルに展示と資料販売参加をいたしました。2日間のメンバーサポートは11名、一般参加者は、23日約550人、24日約600人でした。23日は日本カモシカのビデオを常時放映。今回もジオクイズの挑戦が盛況でした。勿論景品は美味しいみかんでした。お疲れ様でした。










2024.11.23 16:14 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴

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