2025.0309 第12回 南紀熊野ジオパークフェスタ展示参加
2025.0309 第12回 南紀熊野ジオパークフェスタ展示参加をいたしました。
2025 0309 南紀熊野ジオパークフェスタで毎度のごとく出展いたしました。今回は第12回になります。諸々の作業大変お疲れ様でした。晴天のために人出が多かったように思いますが、ジオクイズもキッチンカーも盛況でしたね。やはり、ブースが二つ(連結)だと余裕ですね。


2025.03.09 22:49 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2025.03.01- 第52回公式巡検 熊野市赤木城近辺
2025 0301 もう3月 幸運にも晴天になり、田辺ジオパーク研究会の第52回の公式巡検でした。熊野市赤木城近辺、ということで丸山千枚田、田平子峠、赤木城、蝶の羽根岩、大丹倉(おおにくら)、丹倉(あかくら)神社を回りました。8:30滝尻集合、滝尻解散17:30。久しぶりの火成岩地帯の巡検で15人全員堪能されたようです。渡瀬さんいろいろ解説をありがとうございました。



田平子峠にある供養塔の文内容:
供養塔の建立について
自然の美しさと人の和によってかたく結ばれていた私たちの郷土も天正16年国主豊臣秀長の北山征伐、慶弔19年大阪乱の余波による北山一揆等によって大揺れに揺れました。天正の兵乱は、豊臣政権の重要施策である検地、つまり年貢取立ての基準となる田畑の測量に対して強く反抗したため、慶長のそれは豊臣方に味方した吉野熊野の修験者たちの誘われ、徳川方の新宮城を攻撃したため却ってその反撃をうけたものと伝えられていますが、ともかく打続く凶作と飢餓のため、日々食べることに精一杯だったわが郷土の人々にとっては、全くやむにやまれぬ戦いだったに違いありません。だがそれからおよそ四百年こうした戦いのためにあたら一命を捧げた私たち先祖の苦しい心境も理解されることなく、殆ど世に忘れられ見捨てられているのは、真に痛ましくまた口惜しい限りであります。私たちはいまそれを思いここに供養塔一基を立てていささか追弔の意を表するとともに、後世永くこうした史実に対する関心と認識を新たにしたいと念願する次第であります。
                   昭和43年9月
◎ 赤木城 築城の名手藤堂高虎の初期作といわれる石垣の城
天正13 (1585)年、 紀伊国を平定した羽柴秀吉は、弟の秀長に大和・和泉・紀伊の三国を支配
させた。 熊野は古来より銅などの鉱物資源や良質な木材などを産出する重要な地域だったた
め、秀長の家臣である藤堂高虎が山奉行として、 熊野・北山に派遣された。翌年、その支配や検地に反発して北山一揆が勃発した(のちの浅野時代にも再度の北山一揆があった)。
一揆の鎮圧後、天正17 (1589) 年ごろに木材の切り出し拠点として、 藤堂高虎が赤木城を築
いたといわれている。 当時、総石垣の城は珍しく、このような山奥に堅固な城を築いたのは、一揆勢へ威圧を感じさせるためだったのだろう。 田平子峠を経て入鹿・本宮へと続く十津川街道・風伝峠から熊野に通じる北山街道を押さえる、 赤木川の北岸丘陵上に位置している。
見どころとして
①枡形が連続する堅固な虎口の石垣
②横矢がかかる本丸周囲の石垣
③反りがない野面積や初期算木積の石垣
④中世の土の城を含む過渡期の姿
など




◎ 蝶の羽根岩 蝶が羽根を広げたように見える岩
このあたり周辺には流紋岩質溶岩が分布しており、溶岩が固まる時にできた「柱状節理」(別
紙参照)の風化断面が羽根を広げたように見えるので「蝶の羽根岩」と呼ばれるようになった。
一本の柱状節理が片方の羽根に相当し、二本一組で蝶の羽根となる。流紋岩 (花崗斑岩)は
もともと灰白色であるが、柱の表面から風化により鉄分が赤く変色して、このような美しい模様となっている。

◎ 大丹倉(おおにぐら) 見上げても見下ろしても絶景
「丹」は赤い色という意味であり、 「倉」は断崖絶壁の山 (岩) を示す言葉である。 山頂付近には 「高倉剣(たかくらつるぎ) 大明神」が祀られ、 「橿原神宮遥拝所」の石碑もある。 昔は修験の場であり、頂上に至る道沿いには修験者であるとともに武士であり、鍛冶を仕事としていた近藤兵衛の屋敷だったといわれる中世居館跡がある。
高さ300m、幅500mにおよぶ大絶壁であり、 県道52号沿いから見上げるとその大きさに驚かされる。また、上から見下ろす絶景にも圧倒される。
この付近は、高温の火砕流が堆積した流紋岩質火砕岩である。 そのため、 「蝶の羽根岩」とは岩相が異なり、 火砕流の堆積時にできた流理構造も見られる。 「丹」というほどに赤い色をしているわけではないが、若干の赤みは帯びている。 もしかしたら、 夕陽に照らされて赤く染まる様子から名付けられたのかもしれない。

三重県指定文化財
天然記念物及び名勝 大丹倉
紀伊半島東南部に位置する熊野市は地質学上西南日本外帯の四万十帯の中にある 熊野地方の高地は熊野酸性岩と総称される火成岩でできているが 第三紀中新世の宮井層の上に三回にわたり噴出し形成したとされる大丹倉はその第一次の活動で地中のマグマが地上へ噴出レ流動した溶岩流が長年使食を受けてできたものである。神木流紋岩と呼ばれるこの火成岩体は当地方では赤倉から風伝峠にかけて分布し露頭では噴出後に流動したことを示す流理構造が認められるほか 垂直で均一な柱状節理も所々でよく発達している崖の表面は流紋岩中に含まれる鉄分のため赤みを帯びており 全体として一種独特の景観を呈している台地上になっている崖の上からは 河川が刻み込んだ谷や周辺の山々を一望することができ 地質学上のみならず景観としても貴重なものである。         指定 平成十五年三月十七日
*丹倉(あかくら)神社は典型的な自然崇拝で、ご神体は巨岩(熊野層群の名残か?)です。





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