田辺ジオパーク研究会 活動履歴Index No.2
2099.01.01
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-----日付---------------活動内容----------------------------------------
2024.09.08- 2024 1026予定の「奥駆け道訪問」下見
2024.08.27- 全国ジオパーク下北大会 参加
2024.08.18- 田ジ研自主研修 五百原赤色チャート観察会
2024.08.03- 第10回 風穴サミット@田辺市(0803-0804)参加
2024.07.20- 第21回 ジオ塾「ジオパークって?」何?
2024.07.14- 第48回 公式巡検「すさみ町広瀬谷渓谷-山本一族の隠れ里を訪ねて」
2024.07.01- 2024 0714予定の「すさみ町広瀬谷渓谷-山本一族の隠れ里を訪ねて」下見
2024.06.15- 第20回 ジオ塾 高尾山付近の山
2024.06.06- 田ジ研自主研修 尾鷲市九鬼大配(オハイ)訪問
2024.05.25- 第48回 公式巡検 第17回「地質の日」イベント・日和山と天神崎
2024.04.28- 田辺ジオパーク研究会総会(R6年度)
2024.04.28- 田辺ジオパーク研究会9周年(第6回)記念講演会
2024.04.12- 田ジ研自主研修 高甲良山訪問
2024.03.20- 第47回 公式巡検見学会 日置川沿城址見学会
2024.03.03- 第11回 南紀熊野ジオパークフェスタ展示参加
2024.02.17- 第19回 ジオ塾 「山に魅せられて」久保正一氏
2024.02.12- 田ジ研自主研修 「紀伊風土記の丘」訪問
2024.02.07- 0320公式巡検の下見「日置川城址」
2023.12.16- 第18回 ジオ塾 ジオパーク全国大会報告会
2023.12.03- 田ジ研自主研修 「青石ツアー」
2023.11.25- 田辺市生涯学習フェスティバル展示参加
2023.11.23- 第46回 公式巡検「玉置神社」見学会
2023.11.18- 第17回 ジオ塾 田辺市の文化財紹介
2023.10.07- 第45回 公式巡検「百間山渓谷」探索
2023.09.24- 大塔地球村元気イベント参加
2023.08.30- 田ジ研自主研修 五百原(いもはら)赤色チャート
2023.08.27- 田ジ研自主研修 赤壺訪問
 
2099.01.01 17:34 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024.09.08- 2024 1026予定の奥駆け道訪問下見
2024 0908 奥駆け道を七越峰から山在峠まで歩行しての巡検の下見でした。このあたりの地層は
音無川付加体羽六層になります。
奥駆け道の歩行も大切ですが、地質的な事も研究したほうがいいでしょう。中屋先生曰くこのあたりは典型的F2褶曲がXの形に存在しているところであり、太平洋プレートやフィリッピンプレートの影響を受けているとのことです。山在背斜とあるのは山在向斜のまちがいです。
山在峠までの道程ではいくつかの景観スポットがあり、熊野川(新宮川)の蛇行と褶曲山地を見ることができます。世界遺産だけあって、奥駆け道はよく整備されています。
大歳原(おおゆにはら)と備崎(そなえざき)の間には本宮断層(本宮とらすと)があり、1889年の前の本宮大社崩壊につながった動きの図解があります。

本会では2016年11月に備崎(そなえざき)を訪問しています。
-> http://tajiken.org/cafe/html/mon/201611-1.html







2024.09.17 23:49 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024.0827 全国ジオパーク下北大会 参加
第14回下北ジオパーク全国大会は、当初申込み者3名から、 結局1名樫山恭子さんのみ一般参加となりました。酩酊台風10号に翻弄されましたが、無事にパンフレット10部配布してきました (梅干しは保管中)。来年の十勝全国大会は、10月の3、4、5日あたりのようです。 新千歳から約1時間半の距離と伺いました。格安チケットは半年前から購入できます。来年はレンタカーを借りてみなさんで4、5泊のツアーも良いですね。
3日目は「気候変動とジオパーク」 というテーマの分科会に参加 海洋研藤井先生の前夜呑み過ぎかすれ声の発表でエネルギー転換の問題点を提議され 各テーブルで各地方な身近な問題を挙げていきました 千葉銚子のジオの方は 「イワシが採れなくなった」 「ジオ講習すると小学生数人が必ず熱中症になった」 「ハマオモトの自生確認と海ヘビ出現」 西伊予ジオの方は 「夏の花の咲く時期が早くなった。勿論雪の量激減」 「着物の商売をしてるが夏物衣料取り扱いがが年間の半分になった 春ないんですなぁ…」 etc.その中でzoom 参加 (台風で) の大岩根尚三島村鬼界カルデラジオパーク代表の如何にCo2削減の為の自分に出来る事を考えよう... が印象的でしただってスマホ スナック菓子牛肉 おしゃれを生き残る為に残念するナンテ選択 きついっすよねぇ。


2024.08.27 00:50 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024.0818 田ジ研自主研修会 五百原赤色チャート観察会
2024.0818 連日の晴天が継続の中、龍神村大熊・弓場石油店前に集合。自主研修会と致しました。W氏と2名の参加となりましたが、五百原(いもはら)の赤色チャートと小森谷・赤壺のサイト訪問を機動力でこなしました。これら両者は、美山付加コンプレックス・蟻合谷(ありあいたに・ありごうだに)スラスト上にあり、風屋(かざや)ダム付近まで連なっていると考えられます。
#放散虫
#ラジオラリア
#美山付加コンプレックス








2024.08.18 03:29 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024 0803 0804 第10回 風穴サミット参加
Kさんよりいただきました感想文。↓

「炎天を槍のごとくに涼気すぐ(蛇笏)」8/5付け朝日天声人語のまさに「それ」を
前日8/4に体験させて頂いた不思議
私が呑む水はどこからのもの?(これは広瀬渓谷のふしぎデシタ)
と同じ様に 
私が感じるこの風はどこからのもの?
世の中判らない事だらけじぁ!!深謝!

湧き水わくふもとの神社に参拝して 黒アゲハ翔ぶなか昼食弁当頂き 木守小学校跡を通り
杉木立の坂道は寺へと続く 熊野古道を思わせる やがて大屋根の下の釣り鐘を叩き木守風穴への山道に入らせて頂くと山の神にご挨拶か?
かつてこの地に暮らす人々が地域を大切に守っていたsoul&spiritを感じ乍ら…
ここ紀州で山に暮らす人々は何故か上品である decentな顔立ち 振る舞い その笑顔には山にのmindがあふれている 金への執着や恨みや嫉妬をものともしないのだろう
だから水は湧き 風の穴からは13.5度風速10メートルの涼気が この体を過ぎていく…まるでその時だけ透明人間になれたような有難さ

それは熊野地区を襲った2011年9月の大雨がもたらした深層崩壊の 13年後の姿を見た後だったからか…
井上先生 秋山先生その他の方々から 「あそこが黒藏峠 昔はあの尾根筋を歩いたもんです ココが法師山登り口 一度はどうぞ 黒部ダムの前に生まれた合川ダムの事 等々」こここそ憧れの 虫 植物 動物 石の学究者たちの聖地かと 荒れ地と共に時間が飛ぶ…
地殻変動のごく表面で生き長らえる人間
大地とそこを流れる水のエネルギー
風が呼ぶ木守の奥深さに感動!
不思議満載の半日旅
ごっつぁんでした
都会の音とは全く違うの 匂いもね😀🍀






2024.08.03 23:09 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024 0720 第20回ジオ塾 「ジオパークって?」
2024 0720 第20回ジオ塾「ジオパークって?」というお題でした。by
浜田さん。残念ながら写真スナップはありませんでした。
2024.07.20 22:50 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024 0714 第48回 公式巡検「すさみ町広瀬谷渓谷-山本一族の隠れ里を訪ねて」
2024 0714 白鳥運動公園駐車場に9:30 集合 10:00琴の滝荘前にて説明後、軽トラ等に分乗して琴の滝を見物後、渓谷を上流に向かって通過、途中軽トラをデポして、一族の広瀬谷の里まで歩行&散策後、ピストンでした。
広瀬谷は植林で暗い感じでしたが、合流部分の石垣は残っており、右岸のお屋敷跡まで行くことができました。お屋敷跡の巨大な台杉が元気に残っており、一見の価値ありです。多分、鑑賞用に台杉を植えたのではないかと想像します。幸運に降雨が無く楽しい活動になりました。

*渡瀬氏にまとめていただいた内容を以下に添付します。的確なまとめ感謝いたします。

すさみ町 広瀬渓谷を歩く    田辺ジオパーク研究会 2024.7.14
広瀬渓谷は「すさみ八景」の一つに挙げられる景勝地ですが、今回は「琴の滝」のさらに上流部、「山本氏一族」の隠れ里と伝えられる地を目ざします。
・広瀬渓谷の地質
広瀬渓谷一帯の地層は四万十帯の牟婁層群中部である打越層、堆積年代は新生代古第三紀始新世(およそ4千万年まえ)です。
岩質は砂岩、砂岩泥岩互層、礫岩ですが、 熱水変質帯にもあたり、より硬く変質しており、河床に甌穴が作られつつあるのも見どころの一つです。「紀伊続風土記」に下戸川から広瀬へ越える 「水晶峯」 の記述があり水晶が採れるとされているのは、熱水鉱床がもたらしたものでしょう。
・山本氏とは
山本氏は上富田町(中世には櫟原荘いちはらのしょう) 周辺を支配した有力者で、室町時代初頭には南朝方として活動しましたが後には北朝方に転じ、 以前、当会で訪れた日高の玉置氏、 湯河氏と並んで、室町幕府の奉公衆 (将軍直属軍)となりました。 奉公衆とは平時は将軍御所の警備や外出のお供、 有事には将軍の親衛隊として活動するために組織された、 地方武士のエリートで日頃は京都に在住していました。室町時代に長く紀伊国守護を勤めたのは畠山氏でしたが、奉公衆は守護の支配を受けず、いわば守護の牽制者としての役割も担っていました。
山本氏の本城は上富田町市ノ瀬に今も残る 「龍松山城」 です。 富田川の対岸にあり近年発掘調査が行われた 「坂本付城」が居館跡ではないかとも言われています。
・「紀州攻め」 と山本氏
天正13(1585)年、豊臣秀吉は「紀州征伐」と称して紀伊国に侵攻してきます。同母弟である秀長を総大将として、抵抗した根来衆や雑賀衆、湯河氏などを席巻します。 紀南では安宅氏、 小山氏、 周参見氏などは服従しましたが、山本氏は抵抗勢力として戦いました。 結局、 湯河氏や山本氏は没落してしまいますが、翌年まで抵抗勢力を糾合して粘り強く戦い (熊野一揆)、手を焼いた秀長自らが出陣するという事態にもなったようです。 龍松山城主、山本主膳正康忠の最期については諸説ありますが、 天正14年に降伏した後、 秀長の居城がある郡山に連れていかれ家臣とともに処刑、奈良の大安寺近くに首がさらされた、という説(一次史料である「多聞院日記」 に記述)が現在のところ有力です。
上富田文化の会が今年4月に発行した『上富田文化財増刊号2』には、山本氏一族のその後について、 ①嫡子亀之助が大塔村下川下竹の又で百姓として土着 ②すさみ町広瀬谷へー子因幡が母や家来とともに隠棲、 ③子孫が一人残り、結城秀康に仕える、という3つの山本氏一族のその後が述べられています。 上記②は 「すさみ町誌』 や 『周参見村郷土誌』、 『栄枯盛衰』 (山本健吉氏自費出版)に詳述されていますが、大略は次のようです。
・広瀬渓谷と山本一族
天正15年、山本主膳正康忠の内室と一子因幡 (いんば)、 田上右京をはじめ郎党とあわせ16名が、 周参見主馬太夫氏長 (周参見城・藤原城 中山城)を頼ってきたので、 氏長は家来の宇都宮氏 (神田城) に命じて広瀬谷に隠棲させることにした、ということです。
周参見氏は大百足退治の伝説で有名な藤原秀郷 (俵藤太)の末裔を称し、応永8(1401)年に藤原城を築いて土着したとされています。 山本氏は直接的に対峙することが多かった安宅氏より周参見氏との関係が良かったのかもしれません。
山本氏一族は広瀬・ 下戸川 上戸川など周辺地域を開墾し、家来たちも分散在住しました。 広瀬には春日神社、 下戸川には諏訪神社が旧領地から勧請されたとのことです。 江戸時代になり、主家である山本氏は寛永年間には紀州藩から 「地士」 として認められ、元禄年間に広瀬谷から周参見へ転居し、 萬福寺東裏に住んで屋号を「御庵(ごあん)」といったとのことです。
広瀬渓谷や下戸川に住み続けた家来筋の家々もあったようで、江戸時代末期の宗門改帳には 「山本一族24戸、 150余名」 とあり、 山本一族の主従関係は明治まで続いたとすさみ町誌には記されています。
また初代周参見村長山本康一郎氏の三男として御庵屋敷で生まれた山本弘毅氏は海軍中将となった人で、山本氏末裔として有名です。 昭和9年には軍艦伊勢の艦長として周参見に里帰りもしています。 また、山本氏家老の末裔であり昭和初期から山本氏顕彰に努めた田上憲一氏(現在の大阪工業大学の前身である関西工学専修学校の創設に協力し後に理事長も務める) が上富田の龍松山城跡に建立した「龍松城之記」碑にも名を連ねています。
『紀伊続風土記』にも周参見村の旧家として、 周参見氏と山本氏が記されていることから、江戸時代を通じて周参見の山本氏が市ノ瀬龍松山城主の山本氏の末裔であると認識されていたことは確かです。
(文責 渡瀬)

琴ノ滝にて集合写真 行く気満々

山本一族活動エリア









2024.07.14 22:10 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024 0701 0714予定の「すさみ町広瀬谷渓谷-山本一族の隠れ里を訪ねて」下見
2024 0701 雨天決行になった模様で、雨の中、すさみ町広瀬谷渓谷の「山本一族の隠れ里」
を下見しました。
2024.07.01 22:04 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024 0615 第20回 ジオ塾 高尾山付近の山々
2024 0615 定例会前半として第20回ジオ塾が開催され、芝さんによる「高尾山付近の山々」というテーマで近隣の山々が紹介されました。思えば、タジケンで「奇絶峡」の近隣の山を論じたことがないように思います。
2024.06.15 15:51 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴
2024 0606 田ジ研自主研修 尾鷲市九鬼大配 (オハイ) 訪問
自主研修 尾鷲市九鬼大配 (オハイ) 訪問 少しハードな自主研になりましたが、 以前より希望しておりましたサイト・オハイ(大配ブルー)を訪問しました。 オハイブルーには少し足りなかったようですが、まあまあの晴天の中 (しかし、結構暑かった)、 可知さんのガイドで堪能いたしました。 地質的にはここは熊野酸性岩体(流紋岩類)で覆われておりオハイでは柱状節理がかなり風化(weathering) されている感じです(コアストーンがごろごろ)。 ゆっくり目に往復5時間半、 今回はオハイ訪問だけに絞りました。

今回は、水色のコースでオハイをピストンでした。九鬼コミュセンよりスタート。

九鬼漁港の岸壁を歩く。ブルーの熱帯魚らしき魚たくさん 

九鬼小学校(廃校) アメリカデイゴの花が気持ちいい

コアストーンがごろごろ見えるようになる 猪垣(いのがき)で休憩・ここのは高さ2Mくらいある


幹に大きな爪あと・熊の爪あと?


2024.06.06 15:22 | pmlink.png 固定リンク | folder.png 活動履歴

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