2024 0606 田ジ研自主研修 尾鷲市九鬼大配 (オハイ) 訪問
自主研修 尾鷲市九鬼大配 (オハイ) 訪問 少しハードな自主研になりましたが、 以前より希望しておりましたサイト・オハイ(大配ブルー)を訪問しました。 オハイブルーには少し足りなかったようですが、まあまあの晴天の中 (しかし、結構暑かった)、 可知さんのガイドで堪能いたしました。 地質的にはここは熊野酸性岩体(流紋岩類)で覆われておりオハイでは柱状節理がかなり風化(weathering) されている感じです(コアストーンがごろごろ)。 ゆっくり目に往復5時間半、 今回はオハイ訪問だけに絞りました。
今回は、水色のコースでオハイをピストンでした。九鬼コミュセンよりスタート。
九鬼漁港の岸壁を歩く。ブルーの熱帯魚らしき魚たくさん
九鬼小学校(廃校) アメリカデイゴの花が気持ちいい
コアストーンがごろごろ見えるようになる 猪垣(いのがき)で休憩・ここのは高さ2Mくらいある
幹に大きな爪あと・熊の爪あと?
今回は、水色のコースでオハイをピストンでした。九鬼コミュセンよりスタート。
九鬼漁港の岸壁を歩く。ブルーの熱帯魚らしき魚たくさん
九鬼小学校(廃校) アメリカデイゴの花が気持ちいい
コアストーンがごろごろ見えるようになる 猪垣(いのがき)で休憩・ここのは高さ2Mくらいある
幹に大きな爪あと・熊の爪あと?
2024 0428 田辺ジオパーク研究会総会(R6年度)
2024 0428 田辺ジオパーク研究会9周年(第6回)記念講演会
田辺ジオパーク研究会9周年(第六回)記念講演会
令和6年 第6回記念講演会
《香田 達也 氏 プロフィール》
1982年に早稲田大学教育学部をご卒業後、 1995年に阪神・淡
路大震災に見舞われ、 自宅が全壊となる。 2004年神戸大学大学院
修了、理学博士を取得後、 神戸市立高等学校で教鞭をとられて201
8年に退職。
その後、 神戸大学海洋底探査センター研究員を経て、 2019年から
甲南大学非常勤講師を勤められ、今年3月に退職されました。
<講演内容》
1. 震災と私一阪神大震災から30年目を迎えるにあたって
語り部 (30分)
2. 鬼界アカホヤ火山灰による縄文時代のカルデラ火山噴火の検証
研究員 (15分)
縄文時代 (7,300年前) に生じた鬼界カルデラの大噴火の際に、 大規模火砕流が推定時
速300km で海上を走り南九州に達しました。 同時に発生した鬼界アカホヤ火山灰は東北
地方まで達し、 今も地層 (和歌山県では厚さ20cm程度) として残っています。 今回は鬼界
アカホヤ火山灰の実体に触れることで、 火山災害への備えについて考えたいと思います。
3. 震災遺構としての断層露頭一布引断層案内板のリニューアルに
寄せて - KGM (15分)
能登半島地震では断層運動により地盤が隆起し、 海岸線が200m以上後退しました。
今回はWeb上で公開された報告 (防災学術連携帯 令和6年能登半島地震・1ヶ月報告
会) と 「安江健一(富山大) ほか 令和6年能登半島地震に伴う海岸変化の写真」 を参考に、
六甲山地の隆起と活断層の関係 (六甲変動) を実感するために 「布引断層の露頭」を紹介し
ます。
紀伊民報 5/3の夕刊の記事
阪神大震災の教訓話す
防災センター語り部 香田さん
田辺ジオパーク研究会の第6回講演会「阪神・淡路 大震災と私」が4月28日、田辺市中万呂の万呂コミュニティセンターであった。神戸市立高校の元教諭で「人と未来防災センター」語り部の香田達也さん=神戸市長田区=が、被災当日の緊張した様子を語った。
南海地震の再来確率が次第に高くなっているとみられている中、阪神大震災の教訓を振り返り、備えに役立てようと開かれた。阪神大震災は1995年1月17日の早朝に発生。当時、香田さんは高校教諭(理科)で3年生の担任だたった。14階建てマンションに住み、2階の自宅が全壊。揺れが収まった直後、暗闇の中で「バリバリ、メリメリ」と大きな音がした。「天井が落ちる」と思い、その恐怖心から早く屋外へ逃れようと思ったという。
香田さんは常に寝床の近くに衣類を置き、フローリングの部屋でスリッパを履いていた。このため、ものが散乱した中でも身支度ができ、スリッパを履いて移動できた。
玄関ドアと車の鍵は靴箱のフックに掛けていたため、何とか外に出ることができたと当時の状況を語った。その上で、「身支度と履物は人間に行動力を与える」とし、防災センターを訪れる修学旅行生らにも、服や履物は身近に置くよう話していると説明した。
自宅マンションは全体に大きなひびが入ったが、どうにか命は助かった。周辺の建物が倒壊したため高い所所に登ると遠くまで見渡せ、景色が変わっていた。
また、いつまでも夜が明けないので不思議に思っていたら、各地で発生した火事の煙のせいと分かった。火事は2,3日続いたという。担任だったクラスでも生徒1人が圧死した。「理科 の授業はできても地震の怖さ、命の大切さを伝えていなかった。そういう思いを今も引きずっている」と香田さん。若い人に体験を伝える活動の一つとして語り部を務めているという。
令和6年 第6回記念講演会
《香田 達也 氏 プロフィール》
1982年に早稲田大学教育学部をご卒業後、 1995年に阪神・淡
路大震災に見舞われ、 自宅が全壊となる。 2004年神戸大学大学院
修了、理学博士を取得後、 神戸市立高等学校で教鞭をとられて201
8年に退職。
その後、 神戸大学海洋底探査センター研究員を経て、 2019年から
甲南大学非常勤講師を勤められ、今年3月に退職されました。
<講演内容》
1. 震災と私一阪神大震災から30年目を迎えるにあたって
語り部 (30分)
2. 鬼界アカホヤ火山灰による縄文時代のカルデラ火山噴火の検証
研究員 (15分)
縄文時代 (7,300年前) に生じた鬼界カルデラの大噴火の際に、 大規模火砕流が推定時
速300km で海上を走り南九州に達しました。 同時に発生した鬼界アカホヤ火山灰は東北
地方まで達し、 今も地層 (和歌山県では厚さ20cm程度) として残っています。 今回は鬼界
アカホヤ火山灰の実体に触れることで、 火山災害への備えについて考えたいと思います。
3. 震災遺構としての断層露頭一布引断層案内板のリニューアルに
寄せて - KGM (15分)
能登半島地震では断層運動により地盤が隆起し、 海岸線が200m以上後退しました。
今回はWeb上で公開された報告 (防災学術連携帯 令和6年能登半島地震・1ヶ月報告
会) と 「安江健一(富山大) ほか 令和6年能登半島地震に伴う海岸変化の写真」 を参考に、
六甲山地の隆起と活断層の関係 (六甲変動) を実感するために 「布引断層の露頭」を紹介し
ます。
紀伊民報 5/3の夕刊の記事
阪神大震災の教訓話す
防災センター語り部 香田さん
田辺ジオパーク研究会の第6回講演会「阪神・淡路 大震災と私」が4月28日、田辺市中万呂の万呂コミュニティセンターであった。神戸市立高校の元教諭で「人と未来防災センター」語り部の香田達也さん=神戸市長田区=が、被災当日の緊張した様子を語った。
南海地震の再来確率が次第に高くなっているとみられている中、阪神大震災の教訓を振り返り、備えに役立てようと開かれた。阪神大震災は1995年1月17日の早朝に発生。当時、香田さんは高校教諭(理科)で3年生の担任だたった。14階建てマンションに住み、2階の自宅が全壊。揺れが収まった直後、暗闇の中で「バリバリ、メリメリ」と大きな音がした。「天井が落ちる」と思い、その恐怖心から早く屋外へ逃れようと思ったという。
香田さんは常に寝床の近くに衣類を置き、フローリングの部屋でスリッパを履いていた。このため、ものが散乱した中でも身支度ができ、スリッパを履いて移動できた。
玄関ドアと車の鍵は靴箱のフックに掛けていたため、何とか外に出ることができたと当時の状況を語った。その上で、「身支度と履物は人間に行動力を与える」とし、防災センターを訪れる修学旅行生らにも、服や履物は身近に置くよう話していると説明した。
自宅マンションは全体に大きなひびが入ったが、どうにか命は助かった。周辺の建物が倒壊したため高い所所に登ると遠くまで見渡せ、景色が変わっていた。
また、いつまでも夜が明けないので不思議に思っていたら、各地で発生した火事の煙のせいと分かった。火事は2,3日続いたという。担任だったクラスでも生徒1人が圧死した。「理科 の授業はできても地震の怖さ、命の大切さを伝えていなかった。そういう思いを今も引きずっている」と香田さん。若い人に体験を伝える活動の一つとして語り部を務めているという。
2024 0412 田ジ研自主研修 高甲良山訪問
2024 0412 田辺ジオパーク研究会 自主研修 高甲良(たかこうら)山訪問でした。
昨年来、リクエストがありました件、マイナーな山ですが、私の裏山、山頂(三等三角点・三つ滝 1131)は元々紀州の殿が龍神温泉詣でに使った龍神街道が通っています。今回のルートは大熊より頂上へ、右回りに迂回して殿垣内集落経由、大熊でした。帰りに林道の道迷い(私のポカです)で1時間強のロスがありましたが、約2万歩の充実した自主研修機会になりました。大変お疲れ様でした。
大熊小学校校庭のすぐ前から登ります。
殿垣内集落・源頼氏(よりうじ)が13世紀に逃避してきて住居を構えた。末裔は龍神姓。
ガーミンデータを掲載しておきます。
4/12の手書きhandson
高野龍神国定公園は伯母子岳(奈良県)まで跨る。高甲良山は高野龍神国定公園に含まれる。
昨年来、リクエストがありました件、マイナーな山ですが、私の裏山、山頂(三等三角点・三つ滝 1131)は元々紀州の殿が龍神温泉詣でに使った龍神街道が通っています。今回のルートは大熊より頂上へ、右回りに迂回して殿垣内集落経由、大熊でした。帰りに林道の道迷い(私のポカです)で1時間強のロスがありましたが、約2万歩の充実した自主研修機会になりました。大変お疲れ様でした。
大熊小学校校庭のすぐ前から登ります。
殿垣内集落・源頼氏(よりうじ)が13世紀に逃避してきて住居を構えた。末裔は龍神姓。
ガーミンデータを掲載しておきます。
4/12の手書きhandson
高野龍神国定公園は伯母子岳(奈良県)まで跨る。高甲良山は高野龍神国定公園に含まれる。
2024 0320 第47回公式巡検見学会 日置川沿城址探索
2024 0320 第47回公式巡検見学会 今回は、日置川沿い城址巡りの一環で「安宅(あたぎ)勝山城址」と「安宅(あたぎ)八幡山城址」でした。よく知られた安宅(あたぎ)一族の縄張りであったところです。生憎と強風と寒風で体力的に制約される一日でした。9:30に白鳥体育館前の河原駐車場に集合。乗り合わせて日置川塩野の近く駐車場に駐車。先ず勝山城址(212M)に散策。渡瀬氏の素晴らしい解説に聞き入ること3時間余り。勝山城址は敵の侵入を防ぐ堀切に見応えがありました。10時出発で、帰還が13時になってしまいました。八幡神社で昼食を済ませて、13:30より八幡山城址の散策、ここは山系の鼻を利用した城址で、侵入防止は東西の川をの地形を上手く利用した作りになつています。東側は今は池になっていますが、当時(16世紀)は川、西側は勿論 日置川です。ほぼ一周して、広さと城堀土木を実感して15時前に帰還、最後に安宅(あたぎ)氏の館跡を探索してお開きとなりました。お疲れ様でした。
*両者とも堀切にタービダイト褶曲が見れるので牟婁層群だろう。(地質図と合わない)
*両者とも堀切にタービダイト褶曲が見れるので牟婁層群だろう。(地質図と合わない)
2024 0303 第11回 南紀熊野ジオパークフェスタ展示参加
2024 0217 第19回ジオ塾「山に魅せられて」
2024 0212 田ジ研自主研修 「紀伊風土記の丘」訪問
2024.0212 晴天 11名の参加でした。
09:00みなべ町役場駐車場に集合。乗り合わせて「紀伊風土記の丘」へ出発。10時過ぎそれぞれ現地駐車場に着。ふらふらと歩いて資料館へ。
2グループに分かれて、それぞれガイドの案内による資料館展示物のガイドをいただきました。今回は、古墳だけでなくこの付近の縄文時代から弥生時代の遺跡・遺品の展示がなされていました。松下記念資料館というのは松下幸之助氏の寄付がベースらしい。外壁が青石の横並びにつみ重ねられており、よく見る石垣の風情がよく出ています。古墳の多さに驚きでした。(900以上)
埴輪・副葬品・巨大須恵器等なかなか壮観でした。記念館の前にてランチ、午後12:30より前山A地区をメーンに、古墳のガイド付き探索でした。以前は熊野古道のガイドだったとおっしゃるSガイド、主に竪穴式と横穴式があるらしいが、青石を巧みに並べて積んだ石室が驚きでした。堅穴式は一名専用のお墓で、横穴式は数名のお墓に利用された模様です。前山A地区全体を歩いた後、元気を確認後、前山B53号古墳・将軍塚・前方後円墳を訪問後、14:30に資料館前に帰還帰途に着きました。
感想:
5年後にまた皆で行きましょう。
紀伊風土記にご同行いただきましたみなさま本日は有難う御座いました!
お疲れ様でした。4~6世紀頃の当地の様子分かってとても値打ちありました!
上森さま乗せて戴き有難う御座いました!
今日もとても楽しい研修でした。しんどかった😅75才になっても知らないことばかりで、知ることはとても楽しい🥰定着の困難なのが難点です😅本当にいい企画をありがとうございます🥰参加の皆様、楽しい一日をありがとうございました🥰
本当に良かったです🍀芝xxx氏の案内なかりせば‥‥
学校の先生は縦の糸ぉ✨横の糸は私ぃ🎶会うべき人に出会える事をぉ✨人は幸せと呼びますぅ🎶 どの様な人々が私達のご先祖さまなのか‥‥
5~6世紀の紀伊のくにを垣間見る愉しさに多謝🙇
田ジ研弥栄❗️
それにしても200年の間に900の古墳とは⁉️私でも歩けば何とやら‥‥ことばはどうしてたんやろ? 埴輪のお顔は韓流イケメンでしたわい ワイ🎶
長さ100メートルくらいの前方後円墳もあるんだ(天王塚古墳)!!!
赤線が今回の歩程・前山A地区をメーンに将軍塚前方後円墳との間を往復:
集合記念写真:
岩橋千塚(いわせせんずか)古墳群と周辺の遺跡:
岩橋山塊の周辺には縄文時代から近世までの先人たちが残した多数の遺跡が分布し
ています。 花山(はなやま)丘陵西麓に位置する鳴神貝塚(国史跡) は、縄文時代早期末から晩期(7000ー2300年前) に営まれた生活の場で、明治期に近畿地方で初めて発見された貝塚として著名です。 近年の調査では、墓へ埋葬された足を折り曲げた状態の人骨が発見されました。 井辺(いんべ)遺跡では、弥生時代後期から古墳時代初頭 (2~3世紀)の建物や、前方後方形周溝墓を含む墓域が検出され、比較的大きな集落の跡と考えられます。また、大日山(だいにちやま)の西麓に立地する大日山遺跡では、谷川の跡や大型の竪穴(たてあな)建物から祭祀(さいし)遺物が出土し、岩橋千塚(いわせせんずか)古墳群が築かれた古墳時代中期 (5世紀) に水辺の祭祀がおこなわれていたと考えられます。花山丘陵西側の平野部に立地する音浦遺跡と周辺の遺跡では、古墳時代中期 (5世紀)の大規模灌漑(かんがい)水路と考えられる大溝が検出されたほか、馬を殉葬(じゅんそう)したとみられる古墳や朝鮮半島の技術で作られた陶質土器や韓式系土器などの、渡来人の居住を示す遺構や遺物がみつかっています。
サザエさん銅鐸と呼んでいた。
古墳の中には、埋葬施設といって、亡くなった人をおさめる場所がつくられました。 板石を積んで長方形の空間をつくった竪穴式石室や横穴式石室。 石室をつくらず板石(いたいし)を立ててつくる箱式石棺、 また木棺をぶあつく粘土で包んだ粘土槨(ねんどかく)などいろいろな種類の埋葬施設があるのが、 岩橋千塚古墳群の特徴です。
なかでも石棚と石梁をもつ岩橋型横穴式石室は、岩橋千塚古墳群の最も大きな特徴です。
09:00みなべ町役場駐車場に集合。乗り合わせて「紀伊風土記の丘」へ出発。10時過ぎそれぞれ現地駐車場に着。ふらふらと歩いて資料館へ。
2グループに分かれて、それぞれガイドの案内による資料館展示物のガイドをいただきました。今回は、古墳だけでなくこの付近の縄文時代から弥生時代の遺跡・遺品の展示がなされていました。松下記念資料館というのは松下幸之助氏の寄付がベースらしい。外壁が青石の横並びにつみ重ねられており、よく見る石垣の風情がよく出ています。古墳の多さに驚きでした。(900以上)
埴輪・副葬品・巨大須恵器等なかなか壮観でした。記念館の前にてランチ、午後12:30より前山A地区をメーンに、古墳のガイド付き探索でした。以前は熊野古道のガイドだったとおっしゃるSガイド、主に竪穴式と横穴式があるらしいが、青石を巧みに並べて積んだ石室が驚きでした。堅穴式は一名専用のお墓で、横穴式は数名のお墓に利用された模様です。前山A地区全体を歩いた後、元気を確認後、前山B53号古墳・将軍塚・前方後円墳を訪問後、14:30に資料館前に帰還帰途に着きました。
感想:
5年後にまた皆で行きましょう。
紀伊風土記にご同行いただきましたみなさま本日は有難う御座いました!
お疲れ様でした。4~6世紀頃の当地の様子分かってとても値打ちありました!
上森さま乗せて戴き有難う御座いました!
今日もとても楽しい研修でした。しんどかった😅75才になっても知らないことばかりで、知ることはとても楽しい🥰定着の困難なのが難点です😅本当にいい企画をありがとうございます🥰参加の皆様、楽しい一日をありがとうございました🥰
本当に良かったです🍀芝xxx氏の案内なかりせば‥‥
学校の先生は縦の糸ぉ✨横の糸は私ぃ🎶会うべき人に出会える事をぉ✨人は幸せと呼びますぅ🎶 どの様な人々が私達のご先祖さまなのか‥‥
5~6世紀の紀伊のくにを垣間見る愉しさに多謝🙇
田ジ研弥栄❗️
それにしても200年の間に900の古墳とは⁉️私でも歩けば何とやら‥‥ことばはどうしてたんやろ? 埴輪のお顔は韓流イケメンでしたわい ワイ🎶
長さ100メートルくらいの前方後円墳もあるんだ(天王塚古墳)!!!
赤線が今回の歩程・前山A地区をメーンに将軍塚前方後円墳との間を往復:
集合記念写真:
岩橋千塚(いわせせんずか)古墳群と周辺の遺跡:
岩橋山塊の周辺には縄文時代から近世までの先人たちが残した多数の遺跡が分布し
ています。 花山(はなやま)丘陵西麓に位置する鳴神貝塚(国史跡) は、縄文時代早期末から晩期(7000ー2300年前) に営まれた生活の場で、明治期に近畿地方で初めて発見された貝塚として著名です。 近年の調査では、墓へ埋葬された足を折り曲げた状態の人骨が発見されました。 井辺(いんべ)遺跡では、弥生時代後期から古墳時代初頭 (2~3世紀)の建物や、前方後方形周溝墓を含む墓域が検出され、比較的大きな集落の跡と考えられます。また、大日山(だいにちやま)の西麓に立地する大日山遺跡では、谷川の跡や大型の竪穴(たてあな)建物から祭祀(さいし)遺物が出土し、岩橋千塚(いわせせんずか)古墳群が築かれた古墳時代中期 (5世紀) に水辺の祭祀がおこなわれていたと考えられます。花山丘陵西側の平野部に立地する音浦遺跡と周辺の遺跡では、古墳時代中期 (5世紀)の大規模灌漑(かんがい)水路と考えられる大溝が検出されたほか、馬を殉葬(じゅんそう)したとみられる古墳や朝鮮半島の技術で作られた陶質土器や韓式系土器などの、渡来人の居住を示す遺構や遺物がみつかっています。
サザエさん銅鐸と呼んでいた。
古墳の中には、埋葬施設といって、亡くなった人をおさめる場所がつくられました。 板石を積んで長方形の空間をつくった竪穴式石室や横穴式石室。 石室をつくらず板石(いたいし)を立ててつくる箱式石棺、 また木棺をぶあつく粘土で包んだ粘土槨(ねんどかく)などいろいろな種類の埋葬施設があるのが、 岩橋千塚古墳群の特徴です。
なかでも石棚と石梁をもつ岩橋型横穴式石室は、岩橋千塚古墳群の最も大きな特徴です。