田辺ジオパーク研究会一周年記念講演会(含む「田辺おもろいとこ」
2016.02.21
第9回 奇絶峡(音無川層群の上部羽六累層上部層)と龍神山
2016.01.23
2016.1.23
奇絶峡(きぜっきょう)~龍神山(りゅうぜんさん)と龍神宮
1. 奇絶峡、2015年9月吉野熊野国立公園拡張指定域の奇絶峡は、田辺藩主の安藤帯刀直次や紀伊候頼宜の石塔にこの辺りの石が切り出されたことで有名になり、国学者等の来峡が奇絶峡の発祥となっている。この音無川層群上部羽六(はろく)層は、約6000万年前に海溝の海底扇状地で、混濁流や海底土石流の堆積物からなる。全体として上方に厚層化・粗粒化する。下部の瓜谷層と合わせると層厚2,300㎞に達する四万十付加体の代表的な地層である。明治40年巨礫が転がるこの附近に桜や紅葉の植樹を行い、更に昭和5年に発足した奇絶峡整備委員会が現存している。田辺を代表する市民の憩いの場となっている。
2. 龍神山(りゅうぜんさん)、奇絶峡から表参道登山口まで車移動し、冷たい空気の中、約1時間のハイキングを楽しんだ。龍神宮までの途中、第一展望岩で紀伊水道を望みながらの昼食と、椿~富田~白浜~田辺湾~みなべ町に至る隆起・沈降の地形について中屋先生から説明を頂いた。
晴れた日には紀伊水道を挟み徳島の山姿が眺められる。標高496mの山頂付近にある龍神宮(りゅうじんぐう)ご神木のウバメガシは樹齢400年と解説されている。すぐ側にある池は山の頂上付近にありながらも地下からの湧き水の為、渇水することは殆どないようである。 16:00解散



















奇絶峡(きぜっきょう)~龍神山(りゅうぜんさん)と龍神宮
1. 奇絶峡、2015年9月吉野熊野国立公園拡張指定域の奇絶峡は、田辺藩主の安藤帯刀直次や紀伊候頼宜の石塔にこの辺りの石が切り出されたことで有名になり、国学者等の来峡が奇絶峡の発祥となっている。この音無川層群上部羽六(はろく)層は、約6000万年前に海溝の海底扇状地で、混濁流や海底土石流の堆積物からなる。全体として上方に厚層化・粗粒化する。下部の瓜谷層と合わせると層厚2,300㎞に達する四万十付加体の代表的な地層である。明治40年巨礫が転がるこの附近に桜や紅葉の植樹を行い、更に昭和5年に発足した奇絶峡整備委員会が現存している。田辺を代表する市民の憩いの場となっている。
2. 龍神山(りゅうぜんさん)、奇絶峡から表参道登山口まで車移動し、冷たい空気の中、約1時間のハイキングを楽しんだ。龍神宮までの途中、第一展望岩で紀伊水道を望みながらの昼食と、椿~富田~白浜~田辺湾~みなべ町に至る隆起・沈降の地形について中屋先生から説明を頂いた。
晴れた日には紀伊水道を挟み徳島の山姿が眺められる。標高496mの山頂付近にある龍神宮(りゅうじんぐう)ご神木のウバメガシは樹齢400年と解説されている。すぐ側にある池は山の頂上付近にありながらも地下からの湧き水の為、渇水することは殆どないようである。 16:00解散



















第8回 中辺路高原から栗栖川段丘確認~峰から2011年紀伊半島大水害崩落
2015.12.19
2015.12.19
高原~栗栖川河岸段丘~峰集落(2011年斜面崩壊発生地を見学)~滝尻~栗栖川北郡(ほくそぎ)亀甲石含有層(牟婁層群)
大塔行政局から先ず中辺路高原(たかはら)に向かう。ここは近露スラスト(高原向斜)上に集落があり、近年では霧の郷と呼ばれ素晴らしく見晴らしの良い場所である。大塔山・果無山脈の稜線を一通り眺めた後、栗栖川河岸段丘を見渡せる箇所まで降りる。
富田川を挟んだ対岸の栗栖川河岸段丘は、山地が隆起し段丘面の閑析がすすみ平坦な地形が削られ崩れているようだ。中段と下段は富田川の流路に沿って発達する階段状の地形となっている。続いて峰の集落に移動2011年台風12号時に発生した大規模斜面崩壊の様子が目の当たりに見える所で中屋先生レクチャーを受ける。この時の住民の方が「1週間前からゴーゴーと音が鳴り地響きもして柱にしがみついて生きた心地がせなんだよォ~」と話された。木々には濃い目の筋目が見えるが、その下の岩盤は既に斜面崩壊を起こしている。
滝尻資料館では昼食後、午後からは吉松先生にバトンタッチレクチャー頂き、四万十帯牟婁層群、待望の亀甲石含有層に車を走らせる。林道から降りると直ぐに足元には何らかの生痕化石のかけらがあちこちに散らばっている。田辺市文化財第51号(2015年3月発刊)P10③に北郡の亀甲石が紹介されている。「昭和8年頃、地元の人が専門家の鑑定を求め奔走・・・京都帝国大学の小川琢治博士(田辺市出身名誉市民)も珍奇なもので何物とも言えず、さらに調査すべく現場の保存を望まれた・・・」。谷の間を縫って参加者が黙々と上って行くが、歓声が上がる度に足場の悪い斜面を降りたり登ったりするメンバーも(笑)。暫し、時を経つのも忘れ、このミステリーサークルにはまり込んだ一日だった。16:30解散














高原~栗栖川河岸段丘~峰集落(2011年斜面崩壊発生地を見学)~滝尻~栗栖川北郡(ほくそぎ)亀甲石含有層(牟婁層群)
大塔行政局から先ず中辺路高原(たかはら)に向かう。ここは近露スラスト(高原向斜)上に集落があり、近年では霧の郷と呼ばれ素晴らしく見晴らしの良い場所である。大塔山・果無山脈の稜線を一通り眺めた後、栗栖川河岸段丘を見渡せる箇所まで降りる。
富田川を挟んだ対岸の栗栖川河岸段丘は、山地が隆起し段丘面の閑析がすすみ平坦な地形が削られ崩れているようだ。中段と下段は富田川の流路に沿って発達する階段状の地形となっている。続いて峰の集落に移動2011年台風12号時に発生した大規模斜面崩壊の様子が目の当たりに見える所で中屋先生レクチャーを受ける。この時の住民の方が「1週間前からゴーゴーと音が鳴り地響きもして柱にしがみついて生きた心地がせなんだよォ~」と話された。木々には濃い目の筋目が見えるが、その下の岩盤は既に斜面崩壊を起こしている。
滝尻資料館では昼食後、午後からは吉松先生にバトンタッチレクチャー頂き、四万十帯牟婁層群、待望の亀甲石含有層に車を走らせる。林道から降りると直ぐに足元には何らかの生痕化石のかけらがあちこちに散らばっている。田辺市文化財第51号(2015年3月発刊)P10③に北郡の亀甲石が紹介されている。「昭和8年頃、地元の人が専門家の鑑定を求め奔走・・・京都帝国大学の小川琢治博士(田辺市出身名誉市民)も珍奇なもので何物とも言えず、さらに調査すべく現場の保存を望まれた・・・」。谷の間を縫って参加者が黙々と上って行くが、歓声が上がる度に足場の悪い斜面を降りたり登ったりするメンバーも(笑)。暫し、時を経つのも忘れ、このミステリーサークルにはまり込んだ一日だった。16:30解散




































































2016.02.21 14:47
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